北朝鮮と国交断絶した国の全リスト(50音順、時系列)とその原因

クアラルンプールで起きた金正男氏暗殺事件。

マレーシア政府はついに北朝鮮大使を国外追放しました。

捜査に協力するどころか、執拗にマレーシアを批判する北朝鮮。

マレーシアの市民からは北朝鮮との断交を求める声も出ています。

 【クアラルンプール=菊池友美】北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件を巡り、マレーシアと北朝鮮の間で緊張が高まっている。捜査への協力を拒む北朝鮮に対し、マレーシアは4日夜、カン・チョル北朝鮮大

北朝鮮とマレーシアは国交断絶することになるのか?

今回は過去に北朝鮮と断交した国とその理由を紹介します。

アルゼンチン

長年に渡り軍事政権が続いていたアルゼンチンでしたが、1973年3月11日の大統領選挙を経て、正義党が政権を取りました。

大統領に就任したエクトール・ホセ・カンポラは左翼政策を採り、東側諸国との国交を樹立を進め、この過程で1973年6月1日に北朝鮮とも国交を樹立しました。

その後、正義党の内部分裂が激しくなり、同党の中心人物でスペインに亡命していたフアン・ペロンが帰国して大統領に就任するしましたが、1年足らずで死去しました。そして、後を継いで大統領に就任した妻のイサベル・ペロンも政治を安定させることができませんでした。

1976年3月26日にビデラ将軍率いるクーデターが起こり軍事政権が樹立されると、市場原理の優先などペロン政権時代の政策を見直す動きが進みました。こうした流れの中で1977年6月、アルゼンチンは北朝鮮との国交を断絶しました。

(出典:https://goo.gl/2tewDQ 他)

イラク

イラクは北朝鮮と1968年1月30日に国交を樹立しました。

1980年9月22日にイラン・イラク戦争が勃発しましたが、イスラム革命の拡大を恐れるアラブ諸国だけでなく、西側諸国、東側諸国もイラクの側に立ち、イランに対する制裁を発動しました。

欧米諸国に接近するイラクに不満を抱いた北朝鮮は、1980年10月10日にイラクとの国交を断交し、その後、北朝鮮は武器の売却、技術提供などでイランへの支援を進めました。

それ以来現在に至るまで、北朝鮮とイランとの軍事協力は行われているとされ、逆にイラクとの国交は断絶されたままの状態が続いています。

(出典:https://goo.gl/4zoWH3 他)

オーストラリア

オーストラリアと北朝鮮は1974年12月31日に国交を樹立し、北朝鮮がキャンベラに、翌75年4月にオーストラリアが平壌に大使館を設置しました。

しかし北朝鮮は1975年10月30日に、予告なく一方的にキャンベラの大使館を閉鎖し、6日後には平壌駐在のオーストラリア大使館員3名を国外追放処分としました。そして1975年11月、オーストラリアとの国交を断絶しました。

当時、北朝鮮は韓国との間で国連への加盟を競っており、西側の非同盟国であるオーストラリアとの関係を樹立しようとしてきました。ところが国交を樹立したオーストラリアは北朝鮮の意に反し、国連総会で韓国への支持を表明しました。これに北朝鮮が反発し、オーストラリアと断交するに至りました。

国交断絶後、両国は限定的ながらも接触を維持してきました。1993年5月の北朝鮮によるミサイル発射実験を受けて、1994年までは関係が完全に途切れましたが、その後は再び非公式な相互訪問を続けてきました。そして2000年5月8日、オーストラリアは駐北京大使館を窓口とし、北朝鮮との国交を再開しました。

(出典:https://goo.gl/BaJYnt 他)

グレナダ

1974年にイギリスから独立したカリブ海の島国グレナダでは、1979年3月に起こったクーデターで、マルクス・レーニン主義を標榜する左翼政権が樹立されました。

そして、キューバやソビエトなど東側諸国との関係強化を進め、1979年5月9日に北朝鮮と国交を樹立しました。東西冷戦下で北朝鮮がグレナダに対して無償の軍事協力を行うなど、両国は良好な関係を保っていました。

しかし、カリブ海地域での共産主義勢力の拡大を恐れたアメリカは、1983年10月25日にグレナダに侵攻し、左翼政権に代わって親米政権が樹立されました。

グレナダ新政府は共産主義諸国との関係の見直しを進め、1983年11月に当時のソビエトと断交しました。そして、北朝鮮との国交も1985年1月24日に断絶しました。

しかし両国はその後、1991年12月11日に国交を再開しています。

(出典:https://goo.gl/AUnyvj 他)

スリランカ

スリランカは1970年7月15日に北朝鮮と国交を樹立しました。

当時のスリランカは中道左派のスリランカ自由党政権でしたが、これに反対する極左組織のスリランカ人民解放戦線が1971年4月5日に武装蜂起を起こしました。戦闘は2週間に渡り、犠牲者は3万人を超えました。

これに先立つ1971年3月、北朝鮮がスリランカ人民解放戦線に経済支援を行っていることを理由に、スリランカは北朝鮮との国交を断絶しました。

その後、1975年3月に両国は国交を再開しています。

(出典:https://goo.gl/3NRAko 他)

チリ

チリでは1970年11月に反米左派のアジェンデ政権が成立すると、キューバやソ連など共産主義国との関係を強化しました。この流れの中で、1972年6月1日に北朝鮮との国交が樹立されました。

南米での共産主義勢力の拡大に危機感を抱いたアメリカは、CIAなどを使ってチリ内政に干渉しました。アメリカ政府の支援を受けたチリ国軍は1973年9月11日に軍事クーデターを起こして大統領官邸を襲撃し、アジェンデ大統領はフィデル・カストロから贈られた小銃で自ら命を絶ちました。

クーデターを率いたピノチェト将軍は翌9月12日に軍事評議会の議長に就任し、直ちにキューバと北朝鮮との国交を断絶しました。共産主義諸国もこれに対抗し、ソ連が9月18日にチリと断交し、22日にはブルガリア、25日にはチェコスロバキアとハンガリー、10月1日にはポーランド、ユーゴスラビア、ザンビアが後に続きました。

(出典:https://goo.gl/j5J4zm 他)

フィジー

フィジーは1975年4月14日に北朝鮮と国交を樹立しました。

しかし、1987年に起きた大韓航空機爆破事件が金賢姫ら北朝鮮の工作員による犯行であることが明らかになると、フィジーは制裁措置として北朝鮮との国交を断絶しました。

その後両国は2002年に国交を再開しています。

(出典:https://goo.gl/zJa5BS 他)

ボツワナ

ボツワナは1974年12月27日に北朝鮮と国交を樹立しました。

しかし、ボツワナは北朝鮮国内の人権問題を理由に、北朝鮮との協力関係を2013年に中断しました。

そして、2014年2月に開催された国連北朝鮮の人権に関する調査委員会の最終報告書が発表されると、北朝鮮との外交・領事関係を解除することを発表し、2014年2月20日に国交を断絶しました。

(出典:https://goo.gl/VuooH4 他)

ミャンマー

ミャンマー(当時のビルマ)は1975年に北朝鮮と国交を樹立しました。

しかし、1983年10月9日にビルマの首都ラングーンを公式訪問した韓国の全斗煥大統領を狙った暗殺未遂事件、いわゆるラングーン事件が起こりました。

大統領が献花をする予定であった霊廟の屋根裏に隠されていた3個の爆弾の内の1つが遠隔操作で爆破され、韓国の李範奭外務大臣、徐錫俊副首相ら閣僚を含む21名が爆死、46名が負傷しました。交通渋滞で到着が送れた全斗煥大統領は幸い難を逃れました。

警察の捜査の結果、3人の北朝鮮工作員が犯人とされ、この内2人が逮捕(残る1人は射殺)され、北朝鮮の犯行であることを自供しました。爆破を行ったのがビルマ建国の父アウンサン将軍の霊廟であったことからビルマ政府は激怒し、1983年11月に北朝鮮との国交を断絶しました。

その後、両国は2007年4月26日に国交を再開しています。

(出典:https://goo.gl/1jrJQe 他)

モーリタニア

モーリタニアは1964年11月12日に北朝鮮と国交を樹立しました。

モーリタニアの隣に位置する西サハラでは、宗主国のスペインが撤退を進めていました。1975年にスペインとモーリタニア、モロッコとの間でマドリード協定が結ばれ、モーリタニアは西サハラの南側3分の1を併合することが決まりました。

1976年2月26日にスペインからモロッコに行政権が移りましたが、西サハラ側はこれに反発し、独立を目指すポリサリオ戦線が翌27日にサハラ・アラブ民主共和国の樹立を宣言しました。そして、モーリタニア、モロッコとの間で西サハラ戦争が勃発しました。

当時のモロッコは西側諸国であったため、北朝鮮はこれと対立するポリサリオ戦線を軍事面などで支援し、1976年3月16日にはサハラ・アラブ民主共和国との国交を樹立しました。

北朝鮮のこの動きは西サハラと戦うモーリタニアとの関係を悪化させ、モーリタニアは1977年6月に北朝鮮との国交を断絶しました。

しかし両国は1980年3月に国交を再開しています。

(出典:https://goo.gl/48JcEM 他)

レソト

レソトは周囲を南アフリカに接する内陸国です。

1970年の選挙で敗北したバソト国民党の党首、レアブア・ジョナサンは、選挙結果を受け入れず独裁を開始しました。これによって不安定となった国内を押さえるため、ジョナサンは国民の支持を受けやすい反アパルトヘイトを訴え始めました。

レソトは国連やアフリカ統一機構の場で南アフリカを批判した他、反アパルトヘイトで中道左派の南アフリカの政党であるアフリカ民族会議との結びつきも強めました。

さらに共産主義諸国との関係も緊密化させ、この過程で1980年7月19日に北朝鮮との国交を樹立しました。

レソトとの関係が悪化した南アフリカはジョナサン政権の転覆を図ります。南アフリカの支援を受けたレソト国軍のジャスティン・レハンヤは、1986年1月24日にクーデターを起こしてジョナサンを軟禁し、軍事評議会議長に就任して実権を奪いました。

レハンヤは国内にいたアフリカ民族会議のメンバーと北朝鮮人技術者を追放し、同年8月に両国は断交しました。

(出典:https://goo.gl/fLI45S 他)

マレーシア断交なるか?

さて、マレーシアが北朝鮮と国交を断絶するかに注目が集まっていますが、ここで過去の北朝鮮の断交を時系列で並べて見てみます。

  • 金日成時代
    • 1971年:スリランカ(極左組織支援)
    • 1973年:チリ(親米政権樹立)
    • 1975年:オーストラリア(国連加盟争い)
    • 1977年:アルゼンチン(左派政権崩壊)
    • 1977年:モーリタニア(左派政権支持)
    • 1980年:イラク(反米国家支持)
    • 1983年:ミャンマー(ラングーン事件)
    • 1985年:グレナダ(親米政権樹立)
    • 1986年:レソト(左派政権崩壊)
    • 1987年:フィジー(大韓航空機爆破事件)
  • 金正日時代
  • 金正恩時代
    • 2014年:ボツワナ(人権問題)
    • 2017年:マレーシア?(金正男暗殺)

断交のほとんどは金日成時代に起こっています。そしてそれらはすべて東西冷戦という当時の時代背景の影響を受けています。

左派政権への支持、新米政権への反発は言うまでもなく、韓国のオリンピック開催妨害を狙ったラングーン事件や大韓航空機爆破事件でさえ、北朝鮮の立場から見ると国家としての大義があるものでした。

これに対して今回のマレーシアとの件は、金王朝内部のお家争いがらみ、しかもその相手が争う気がまるでない金正男という、国家としての大義もへったくれもまるでないものです。こんなことで国交断絶とは、国交も軽く見られたものです。

金一族も小粒になったというか、お粗末というか。その功罪は別として東西冷戦下で国交断絶も辞さず戦った金日成は、きっと草葉の陰で泣いているのではないでしょうか?

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コメント

  1. 見田吉啓 より:

    大変参考になり有難うございました。
    見事にここまで見やすくまとめられたものと感心致しました。

    • ジジイ ジジイ より:

      どもども。
      見事も何も、単に歴史的事実を並べただけです。
      ご参考になれば何よりです~

  2. 貫太 より:

    確かラングーン事件を受けてミャンマーの他にコスタリカ、サモア、コモロも国交断絶したはずなのですが…。それは入ってないんですね

    • ジジイ ジジイ より:

      そうなんですか?
      僕が調べた限りは3ヶ国とも国交がありました。
      これ→ https://goo.gl/w1c4bw
      なので僕は国交ありと判断していますが、現在も断絶中という根拠が見つかったら指摘してください。
      こちらでも確認します!