金より時間、地位より自由、安定より放浪 ~オッサン個人事業主の東南アジアぶらぶら一人旅~
ついに20年ぶりのホーチミンシティへ旅立つ日が来た。自宅からタクシーで空港へ。マニラの空の玄関口ニノイ・アキノ国際空港、通称NAIA。マルコス政権下で暗殺されたベニグノ・アキノ上院議員の名を冠するこの空港にはターミナルが4つある。
日本航空などが利用するターミナル1はアメリカCNNが発表する「世界で最もムカつく空港ワースト10」の常連だが、セブパシフィック航空が利用するターミナル3は最も新しいターミナルで中も快適。貧乏人御用達のエアラインが最もコンディションの良いターミナルを利用している。
チェックイン、出国審査を済ませ搭乗ゲートへ向かう。出発時刻が近づいた頃にアナウンスが。どうやら搭乗ゲートが変更になった模様。セブパシではよくあることなので、さっさと新しいゲートへと移動する。
そして出発時刻の22時50分が近づくが、驚異の定時運航率75%を誇るセブパシがまともに飛ぶわけがない。ちなみにピーチは98%だったかな? 案の定1時間遅れとなった。ま、毎度のこっちゃ。
ホーチミンシティまでは2時間半のフライト。LCCと聞くと安かろう悪かろうのように思われがちだが、機材については運航コストを下げるために燃費が良い最新鋭のものを使っている。この日の機材はエアバスの小型機A320。機内もまだ新しくフィリピン航空の年季の入った機材よりよほど快適。
また、LCCなので機内食も飲み物のサービスもないが、夜中の12時過ぎにそんなもの出されたほうがかえって迷惑。欲しい人だけ買え、というLCCのスタイルのほうが僕には向いている。
フィリピンとベトナムとの時差は1時間。途中で少し遅れを取り戻したのだろうか。ホーチミンシティには深夜1時過ぎに到着した。着いた。20年ぶりのベトナムだ。
降機して入国審査場へと進む。途中で中国銀行の広告が。
Always with you in VietNam か。確かに居るわな、西沙諸島にw
入国審査場に到着。長蛇というほどの列ではないがなかなか前に進まない。ようやく自分の番になりブースへ向かい、入国審査官にパスポートを渡す。
ブースには2人の若い入国審査官がいた。国軍が入管を管轄しているのだろうか、2人とも軍服姿だ。1人がコンピュータの画面を眺め、もう1人が自分の膝元を見ている。時折コンピュータを見てる審査官がもう1人の方を振り向いて何か談笑している。何しとんのや、こいつら?と思って中をのぞき込んでみると、タブレット端末でゲームをしていた。orz
これが日本だと瞬間湯沸器が作動してブチ切れ怒鳴ること間違いないが、ここはベトナム社会主義共和国である。諦念して待つしかない。しばらくしてパスポートが返された。もちろん、投げて。怒
海外で暮らしていると思うが、日本の公務員というのはつくづく優秀であり、まじめであり、親切である。最近の日本では公務員はバイキン扱いだが、いやいやどうしてどうして。日本のみんな、公務員を大切にしようね。
入国審査場を後にして出口へと進む。事前に仕入れた情報通り出口の手前左手に両替店が並んでいた。余っていた人民元をベトナム・ドンに両替したのだが、高額紙幣ばかりで使い勝手が悪い。店の兄ちゃんにくずしてくれと言ったらすぐに対応してくれた。中国もそうだが、公務員はクソでも民間はまとも。
ゲームボーイズのチンタラ作業で入国審査に手間取り、ターミナルの外に出た時には2時を過ぎていた。日本から来た旅行客ならばここで「東南アジアの湿った蒸し暑い空気が鼻孔から体全体へと広がっていった」ってなことを書くのだろうが、なにせこちとらマニラ市民である。変わらず暑い。
さすがにこの時間ではバスなどは走っていない。それは織り込み済みだったので、予定通りタクシー乗り場へと向かう。事前情報ではビナサンタクシーというタクシー会社がまともらしい。ターミナルを出て左へと進む。タクシー会社の担当者っぽいのが並んでいて声をかけてくる。こういうのはオール無視。ようやくビナサンの担当者を見つけて手配を頼む。
やはり人気のタクシー会社のようで次から次へと客がやってくる。担当者くんは携帯片手にタクシーを呼んでいるのだが、台数が足りてないのかなかなか来ない。こういう状況下で日本であれば自然と列ができて順番に待つのだが、途上国でそんなことをしていたら、乗れた頃には年号が平成から変わっていることだろう。
やってきたタクシーのドアにすたすた進み、これに乗るぞと担当者くんに目配せ。担当者くんも当然順番なんて気にしていない。親指を立ててOKサイン。タクシーに乗り込み深夜のホーチミン市内へと向かう。
ホーチミンシティはベトナム最大の都市であるが意外に深夜は静寂だった。シーンと静まり返った中をタクシーは進む。これがマニラであれば深夜であってもクラクションが鳴り響き静寂なんてことはありえない。同じ東南アジアでも海を越えるとまるで違う。
目的地には20分も経たずに着いた。さすがおすすめランキングトップのビナサンタクシーだけあって、ドライバー氏は非常に親切であった。住所自体は有名ではあるもののホテルはそこまで有名ではなかったらしく、通りを歩く人に聞きながら小さなホテルを探し当ててくれた。そして料金を払おうとしたのだが、
「はい? 150,000ドン? ちょっと待て待て、運ちゃん。15万ってなんやそれ? えーっと、確かゼロ3つ取って5倍やったな。ってことは日本円で750円か。そういえばそれくらいやって何かに書いてたな。しっかし、タクシーで15万って、心臓に悪い国やなぁ。」
ホテルに着いたのは深夜3時。ホテルのドアは閉まっていたが、ガラス越しに見るとスタッフらしき男がソファで寝ていた。タクシーのドライバー氏がドアを叩き、起こしてくれた。ドライバー氏に礼を言い中に入る。
チェックインを済ませて部屋に入る。冷蔵庫の中にハイネケンが入っていたが、ベトナム最初の夜のビールがオランダ産というのはいただけない。通りにコンビニがあったのを思い出し階下に降りる。
ホテルを出るとそこには喧騒が広がっていた。「ブイビエン通り」、ホーチミンシティのバックパッカー街だ。上の写真はネットから拾ってきたものだが、若者を中心に多くの西洋人が通りを行き交い、バーで酒を飲んでいる。昼夜を問わず熱気の籠もる街。ここがブイビエンか。
コンビニでビールとつまみを買いホテルに戻る。ホーチミンシティ最初の夜はこれと決めていた。「バーバーバー(333)」
20年前、ホーチミンシティに着いた最初の夜、道ばたに椅子を並べた店で「ホビロン」を食べた。ホビロンとは孵化する直前のアヒルの卵をゆでたもの。フィリピンではバロットと呼ぶ。いわゆる世界のトンデモ料理の定番だ。
ベトナムに来た以上は食べてみようと思い、椅子に腰掛け周りの人の真似をして食べてみた。なんじゃ、この味は? こういうものなんかね? と思って二口目を食べようとすると、店のおばちゃんが僕が持ってた卵をのぞき込んだ。そして僕の手からその卵を取ると、別の卵を取ってきてカツンカツンと上の方を割り僕にそれを渡し、何事もなかったかのように元の位置へと戻っていった。
親切なおばちゃんだねと一瞬思ったが、いやいや、そうではなかった。最初に僕に渡したのは生ゆでだったのか腐ってたのか、要は食べれるようなシロモノではなかったということだ。笑
その時に飲んだのが333だった。ただしその時は道ばたの椅子に腰掛け、バイクのエンジンオイルを入れる時に使うような半透明のプラスチックでできた容器に入った常温の333を、氷が入ったこちらもプラスチックのカップに入れて飲んでいた。その氷がどんな水で作られたかなんて気にもしなかった。いや、気にしてたら旅なんてできなかった。
あれから20年。コンビニで買ってきたキンキンに冷えた333をホテルの自室で飲む。20年前と変わらぬ味に若いころに戻ったような錯覚を覚える、なんてことを書きたいのだが、残念ながら20年前の味覚を覚えているほど僕の舌は優秀ではない。
ただ、確実に美味かった。長旅の疲れもあっただろうが、このビールは美味いと感じた。20年前の最初の夜に飲んだ333が20年経ってベトナムを再訪した僕にまた333を飲ませたように、これから何年か経ってまたベトナムを訪れることがあったら、きっと今夜飲んだ333がまた僕に333を飲ませるのだろう。
20年前も、今夜も、そしていつか来るだろうその日も、僕のベトナムは333で始まる。