金より時間、地位より自由、安定より放浪 ~オッサン個人事業主の東南アジアぶらぶら一人旅~
バイクの群れを眺めながらぶらぶらと南に向かって歩く。気が付くとベンタイン市場の前だった。ベンタインは我々外国人にとっては観光スポットであるが、ホーチミン市民にとっては交通の要衝。市場の前は大きなロータリーになっており、市内のバスの多くはここを発着点とする。
そのロータリーの脇からフォングーラオ通りを南西に進み、信号を過ぎた3つ目の角を左に曲がるとデタム通り。観光客向けの安宿やレストランを眺めながら進むと僕が投宿しているブイビエン通りに出る。
ホテルに戻るつもりでフォングーラオを歩いていたのだが、部屋にこもるには少し時間が早い。通りの北側は公園になっていて、夕暮れ時を過ごす人々の姿も見える。どれどれ、ちょっと公園の中でものぞいてみるか。
木々に囲まれ緑豊か。心が洗われる。まぁ、僕の心は5年くらいかけて洗わないときれいにならんだろうが。苦笑
ベトナムと聞くとステレオタイプな東南アジアの途上国のイメージしか浮かばないかもしれない。しかし実は市内のあちこちに緑があり落ち着いた風情なのだ。
その落ち着いた緑の中を歩いていると…
なんじゃ? 欧米人が包囲されてるぞ?
見ると公園のあちらこちらで年の頃なら10代後半から20代後半くらいまでだろうか、大学生もしくは社会人と思しきベトナムの若者たちが、ベンチに座る欧米から来た観光旅行客たちを取り囲んでいる。
一体何をしているのか?近付いて様子をのぞいてみた。彼らはもちろんベトナム戦争の文句を言っているのではない。彼らがしていたのは英会話の練習だった。
経済発展中ではあるが、最大都市のホーチミンシティでさえ市民の平均年収は25万円。そんな彼らには語学留学はおろか、民間の英語学校に通うことすら容易ではない。
しかし英語を身に付ければ就職に有利になるかもしれないし、外資企業に良い条件で就職できるかもしれない。金はないが英語は身に付けたい。そこで彼らは欧米の観光客相手に話しかけて英会話の練習をするという手を考えついたのだ。
もちろんすべての観光客が応じてくれるわけではない。中には公園で静かに時を過ごしたいという人もいるだろう。しばらく様子を見ていたが、少なからずの欧米人が手を横に振って彼らの申し出を断っていた。
しかし彼らはあきらめない。次の獲物を探して公園内を行き交う。そして練習相手を捕まえると、他のハンターたちも周りに集まってきて、彼らの英語でのやりとりに耳を傾ける。そして自分が会話に割って入るチャンスを虎視眈々と狙うのだ。
そんな攻防が公園のあちこちで繰り広げられていた。何とかして英語を身に付けるんだ。英語を身に付けて豊かになってやるんだ。そんな彼らのハングリー精神がひしひしと伝わってきた。
こういうことを書くと、「海外の若い子はえらいねぇ。それに比べて最近の日本の若い子は。内向きで草食で困ったもんだよ。」といった声が聞こえてくるかもしれない。
しかし果たして本当にそうだろうか? 英語を身に付けるために街をゆく欧米人を捕まえて英会話の練習をする。僕は40数年生きてきて、日本でそんな光景を満たことは一度もない。
最近の子が内向きで留学に行かないとか言うが、僕が大学生だった20年前でも留学に行くやつなど身の回りにほとんどいなかった。さらにハングリー精神に至っては、バブルのまっただ中を過ごした我々の世代がハングリー精神を語るなど、吉本も真っ青の喜劇ではないか。
日本人がハングリー精神を持っていたのはせいぜい1950年代くらいまでではないだろうか。少なくとも僕が生まれた60年代にはハングリー精神なんて日本からは消え去っていた。今の若い子たちにハングリー精神を求めるなんてナンセンスこの上ない。
しかし、ベトナムのこの光景を見て分かる通り、ハングリー精神というのは時として人を大きく成長させる。ハングリー精神は絶対にないよりあったほうが良い。
とは言うものの、今から日本をハングリーな状態にするなど無理な話。だからこそ東南アジアのような途上国、新興国に旅をしたり留学したりして、せめてハングリー精神の疑似体験くらいはすべきだと思うのだ。なので日本の若い子たちにはもっと外に出て欲しい。
そうなるとまた内向きの話になるのだが。今の日本の若者たちが平均値で見た場合に、僕らの世代と比べてもしかしたら内向きということはあるかもしれない。しかし、すべての若者が内向きなのではない。それどころか、少なからずの若者は1960年代生まれの僕らの世代よりはるかに外向きなのだ。
例えば留学一つとっても、留学する日本人の総数は減少傾向だが、それでも今でも留学する若者は毎年万人単位でいる。日中関係が最悪の状態にあるにも関わらず、中国に留学する若者は依然として1万人を超えている。
さらに、高校生から留学したり、日本の高校を出てアメリカの大学に入るといった若者も増えている。また、会社を辞めて途上国で現地採用で働いたり、大学を出ていきなり現地採用で就職するといったケースも増えている。これらは僕らの世代ではあり得なかったことだ。こういった若者たちは間違いなく20年前の我々よりはるかに外向きだ。
平均値的には昔より内向きかもしれない。しかし、依然として外を向いている若者がいて、さらにかつての日本人よりはるかに外向きの若者もいる。これは何を表すのか? 内向き、外向きの格差が広がっているのではないだろうか。
高校卒業後の海外の大学への進学とか、海外で働くとか、もちろん従来型の留学とか。そういった外についての情報を知り、そして一歩足を踏み出してみた若者。それとは逆に、足を踏み出すどころか海外についての情報に接することすらなかった若者。この両者の差が20年前、30年前とは比べ物にならないくらい広がっているような気がするのだ。
同じ能力であれば外を知っている人間のほうが間違いなく強い。他の能力に差がないならば、外で暮らしたことがある者の方が必ず勝つ。それは僕自身の経験から確信を持って断言できる。
それゆえ、1人でも多くの日本の若い子たちに外に出て欲しいし、少なくとも偶然このブログにたどり着いた貴殿には、これをきっかけとしてぜひ外に出る機会を自ら作り出して欲しいと思う。出よう、外に!