東南アジア放浪記/イメージ画像

ブイビエン通りを行き交うバックパッカーたち。日本人よ、子供を連れて旅に出よう!

今日はベトナム5日目、そして最終日。あっという間の旅が今日終わる。最終日の朝食は何にしようか。はずして終わるのはイヤだなぁ。ちょっと僕らしくないが、初日に食べて美味しかったフォーの店を手堅く選ぶ。

フォー

えー、さすがに2回目ですし、他の店で何度かフォーを食べてきましたので、もう店のおばちゃんからアホと言われることもありません。レタスもちゃんと小さく切って放り込み、各種調味料で味を整えてから召し上がらせていただきます。はい、美味しゅうございました。食後に出された紙ナプキンで口を拭き、さて帰ろうかと25,000ドンを出す。

「ごちそうさんでしたと。 へ?なに? 1,000ドン足りへん? なんでーな?25,000違うの? は?その紙ナプキンが、1,000ドン? くっそ~、最後の最後でやられた~」

気を抜くとこうなるのだ。笑


まぁ、しゃあない。1,000ドンというと日本円で5円。ナプキン代としては妥当なところ。確認しなかったこちらが悪い。ケラケラ笑いながら1,000ドン紙幣を渡して店を出る。

通りに出ると右手から大きなリュックを背負った30前後の欧米人の女性が、ちょっと小振りのリュックを背負った小学生くらいの女の子の手を引いて歩いてきた。その後をさらに小さなリュックを背負った幼稚園児くらいの女の子が。

僕の前を通り過ぎたところで幼稚園の子が道につまづいて転んだ。するとその後ろから大きなリュックを背負った男性がやってきて、ダメじゃないか、気を付けなきゃみたいなことを言いながら女の子を起こし、そして4人でまた歩いて行った。

家族連れのバックパッカーだった。


バックパッカーと聞くと若い子が中心で、毒舌になる前の有吉みたいに世界をまわって旅しているようなイメージを持つ人が多いと思う。確かにそのイメージは間違っておらず、主流派はそういった若者たちだ。

しかし実は、欧米では家族連れのバックパッカーがけっこういる。僕のホテルがあるブイビエン通りや、1本隣のファングーラオ通りでたまにそういう家族を見かけるし、僕のホテルにもヨーロッパから来た5人連れのファミリーバックパッカーが泊まっている。

彼らは決して世界一周をしているわけではない。東南アジアを周遊しているわけでもなく、短期でホーチミンシティだけを訪れているという人たちもいるだろう。持っている荷物がスーツケースではなくリュックで、泊まるのが普通のホテルではなく安宿というだけ。要は安く旅をする普通の旅行者である。


これ、若い日本のファミリーもして良いと思うのだ。30前後の若い家族だと可処分所得が低いので、費用的に海外は厳しいというかもしれない。だが、LCCを使えば費用はかなり節約できる。僕の今回のチケットはマニラからの往復で15,000円。東京から大阪の新幹線の片道料金とほぼ同額だ。

ブイビエンのホテル

宿泊費だってそんなにかかるわけではない。上の写真は僕が今回泊まったホテル。カメラマンの腕が悪いので貧相に見えるかもしれないが、テレビや冷蔵庫、バスタブも付いて1泊2,500円だ。海外では1人ではなく1部屋いくらという料金設定のホテルもあるので、そういうところだと家族何人だろうと1部屋料金で宿泊できる。

さらに途上国を旅するならば、旅行中にかかる費用だって安い。今朝食べたフォーは紙ナプキン付きで130円w 日本だとおにぎり1個が良いところ。普通に日本で暮らすより東南アジアで旅してるほうが食費も交通費も安く付く。


問題となるのは旅行の日程を早めに決めることができるか。LCCのチケットを安く買おうと思ったら、数カ月前には予約をしないといけない。激安で済まそうと思えば半年前だ。そんなに前に旅行の日程を決められるか?

実は決められるのではないだろうか? 社会人にはイメージしてみて欲しい。来年の今日、自分はどんな業務をしているか。実はだいたい分かるのではないだろうか。そろそろ毎年恒例のあのイベントがあるから、企画書作って部長に提出し、人事と総務に根回しして、みたいに。数カ月前に旅行日程を決める。本当はできるはずだ。


僕は外の世界は子供ができるだけ小さいうちに見せるべきだと思っている。小さいうちのほうが感受性が高い。いろいろなものを感じ取ることができる。高校生くらいになると理系か文系かが分かれてしまっているが、高校に入る前ならば旅で感じたことで自分の人生を変えることもできる。貧困にショックを受けて途上国で活躍する医者になるために医学部を目指すとか。

そしてもう一つ。海外に出るといろんな違いに触れる。飛行機を降りたら聞いたこともない言葉が話されてた。目の前にいる同い年くらいの子供の目と肌の色が違う。なんだか知らないけど女の人が頭に布を巻いている。なんでごはんを手で食べてるんだろう。

日本は事実上の単一民族単一言語だから、日々の暮らしで違いに接する機会が少ない。それゆえ、日本というのは違いを認めない同調圧力が強い社会だと思う。子供たちも然りで、スカートの丈を同じような長さにし、同じように腰パンにし、同じような音楽を聞き、同じような流行りのものを身に付ける。そんなのでクリエイティブな人材が育つわけがない。

小さいうちから世界に出て、違いに触れさせる。飛行機に乗った先には肌の色が違う人が日本とは違った言葉を話している。世の中にはいろんな違った世界がある。それが普通。違っていても良いんだ。同じじゃなくて良いんだ。日本の子供たちにはそんなふうに育って欲しい。


若い夫婦が小さい子供を連れて世界各地を貧乏旅行する。それが普通。そんな日本になればすばらしいと思う。

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