日本の航空会社である春秋航空日本と、その親会社で中国最大のLCC(格安航空会社)である春秋航空(中国)について詳しく説明します。
春秋航空日本は東京成田空港を拠点とするLCC(格安航空会社)です。その名の通り中国最大のLCCである春秋航空(中国)のグループ会社ですが、航空法の外資規制により出資比率は33%となっています。
春秋航空日本は2012年9月7日に設立されました。2013年12月17日に航空運送事業許可を取得し、2014年8月1日に東京成田-高松・広島・佐賀線の3路線に就航しました。そして2016年2月13日に東京成田-武漢線、14日に東京成田-重慶線を開設し国際線にも進出しました。東京成田-高松線は2015年10月25日より運休となりましたが、2016年8月20日に東京成田-札幌新千歳線を開設しました。現在は東京成田と札幌新千歳、広島、高松を結ぶ国内線3路線と、武漢、重慶を結ぶ国際線2路線を運行しています。
同社会長の王煒氏は春秋航空(中国)会長である王正華氏の息子です。中国上海に生まれた生粋の中国人ですが、下関市立大学に留学したあと2003年に日本能率協会総合研究所に入社し、2011年に春秋航空(中国)に入社するまで上海事務所で勤務しました。日本的なビジネスに精通しており日本語も堪能です。春秋航空(中国)入社後は日本市場開発本部副本部長、春秋日本準備室室長を経て、2012年から春秋航空日本会長、春秋グループ日本代表に就任しています。
春秋航空(中国)は中国初の民間航空会社であるとともに、中国で初めてのLCC(格安航空会社)です。LCCとしては現在でも中国国内では最大手です。
年間の売上高は81億元、純利益は13億元で、国内外84都市の間に114路線を張りめぐらせ、毎週1,403便を運行しています。中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空の大手国営航空会社に次ぐ2番手グループを形成しています。年間搭乗客数は1,300万人で、全日空の約3割、日本のLCC最大手ピーチアビエーションの3倍弱に及ぶ大きな航空会社です。
安さを最大の武器に多くの利用客の支持を集めており、国内線、国際線を合わせた座席有償利用率(ロードファクター)は92.84%、国内線だけだと94.83%です。日本航空や全日空が70%台、日本で最も高いピーチアビエーションでも80%台後半であることを考えると、春秋航空がいかによく利用されているかが分かると思います。
中国発着の国際線が東京や大阪だけでなく札幌、旭川、済州島、シェムリアップ、プーケット、コタキナバルなどにも就航していることから分かる通り、中国人観光客の利用が非常に多いです。親会社が中国最大の旅行会社であることも、安定した旅客需要の創出につながっています。
機材は日本でもお馴染みのエアバスA320-200型機です。日本のLCC大手3社(ピーチアビエーション、ジェットスター、バニラエア)すべて合わせて保有するA320型機は46機ですが、春秋航空はそれを上回る60機保有し、さらに64機を導入予定です。
中国国内では上海浦東、上海虹橋、瀋陽、石家荘、深圳の5空港を拠点としていますが、中国国外でも大阪、名古屋、済州、バンコクを夜間駐機が可能な拠点空港とするなど国際化も進めています。同社のロゴである3SマークはSafety、Sincerity、Smileを表しています。
春秋航空(中国)は2004年5月26日に中国初の民間航空会社、そして中国初のLCC(格安航空会社)として設立されました。2005年7月12日にエジプトのロータスエアから購入した中古のエアバスA320型機1機でスタートしましたが、現在では上述の通り50機を超えるまでに発展を遂げています。
親会社は中国最大の旅行会社である上海春秋国際旅行社で、同社とグループ会社で発行済み株式の75%を保有しています。また、上海春秋国際旅行社の株式の35.7%を創業者である王正華氏が保有しています。
会社設立1年後の2005年7月18日に上海虹橋-煙台線、上海虹橋-桂林線で初就航、2010年7月28日には上海浦東-茨城線で国際線に初就航しています。
春秋航空(中国)は「让更多的普通大众坐得起飞机(より多くの庶民が飛行機を利用できるように)」の実現を目標とし、LCC(格安航空会社)という経営形態を採ることで中国の既存の航空会社との差別化を図っています。その戦略の重点は以下の通りです。(参考:チケットの安さの理由)
春秋航空(中国)は2010年7月28日に上海浦東-茨城線で国際線に進出して以来、同年9月28日に上海浦東-香港線、翌2011年4月8日に上海浦東-マカオ線、2012年8月10日には上海浦東-バンコク線と、国際線の路線網を急速に拡大しています。
さらに、2014年3月の上海浦東-大阪関西線への就航を契機に、大阪関西空港を中国国外における同社初の拠点空港としました。現在では名古屋、済洲、バンコクも拠点空港となるなど国際化に注力しています。これらの結果、2015年度は国際線の売上高が前年比で倍増し、同社の全売上高の37%を占めるまでになりました。
同社は上海を中心としたエアバスA320型機の就航可能範囲には26ヶ国266都市があり商圏人口は37億人に及ぶとし、国際化のさらなる進展を目指す姿勢を示しています。
上で述べてきた通り、春秋航空(中国)は2010年7月28日開設の上海浦東-茨城線で日本に初就航しました。その後も2011年7月15日に上海浦東-高松線、2012年1月18日に上海浦東-佐賀線と、毎年のように日本路線を開設してきました。
同社は日本を中国国外の最重点市場の一つと位置付け、日本路線の開設と定着を進めてきました。2012年の尖閣諸島国有化では日中関係が険悪化し同年1月に開設したばかりの上海浦東-佐賀線の搭乗率が激減した際には、中国国内での反発が予想される中、同路線で0円キャンペーンを実施し路線を守ろうとしたほどです。
日本の重点化が大きく進んだのは2014年です。同年3月に上海浦東-大阪関西線を開設したのを皮切りに、7月には天津、武漢、重慶と大阪関西を結ぶ3路線を開設しました。さらに2015年3月3日には大阪関西空港を同社初の海外拠点空港とすると発表し、2016年までに大阪関西空港発着路線を11にまで拡大させました。
そして、2015年6月29日には上海、ハルビン、石家荘、フフホト、合肥と名古屋中部を結ぶ5路線を一挙に開設。その後2016年までに9路線に拡大させ、名古屋中部空港を大阪関西空港に次ぐ海外2つ目の拠点空港としました。
上述の通り春秋航空(中国)の親会社は中国最大の旅行会社であり、搭乗客の大半は中国人観光客です。中国の経済発展に伴い中国人の所得水準は急激に上昇しており、平均的な日本人よりも可処分所得が多い中国人は数億人にのぼります。上に挙げた大阪、名古屋からの就航地は日本人には聞き慣れない地名が多いでしょうが、いずれも人口数百万人の大都市であり、そこには日本への観光旅行を希望する潜在客が多数おり、同社の戦略はまさにこれら中間層の日本への観光需要を狙ったものです。
爆買いで大きな話題となった中国人観光客ですが、ブランド品や化粧品を買いあさっていた団体旅行客中心の第一波はすでに収束し、今後は個人旅行客が大多数となります。それにともなって東京-富士山-京都-大阪のゴールデンルート以外の都市が中国人旅行客の新たな渡航先となります。春秋航空(中国)はすでに福岡、長崎、熊本、那覇への就航希望を表明していますが、今後は仙台、金沢、広島など日本路線のさらなる拡充を進めることが予想されます。
春秋航空(中国)の創業者である王正華氏は中国のLCC(格安航空会社)の第一人者であり、一代で中国最大の旅行会社と中国初の民間航空会社を作り上げた立志伝中の人物です。
王正華氏は1944年に上海市で生まれました。学業優秀で高校では生徒会の副会長も務めましたが事情あって大学には進学できず、1962年に上海市長寧区政府に就職して地方公務員となりました。
そのまま勤務を続け中堅幹部となった1980年代初頭に王氏に転機が訪れました。1966年に始まった文化大革命が1976年に終結しましたが、これに伴い黒龍江省や陝西省など中国各地に下放されていた大学生たちが続々と上海に戻ってきました。30代前後となった大量の元大学生を迎え入れることになった当時の上海市政府にとって喫緊の課題は彼らに就業の機会を創出することでした。
長寧区政府でこの任務に当たることとなった王氏はいくつかの企業設立に携わることとなりましたが、その一つが旅行会社でした。1981年に上海春秋旅行社が設立されると王氏は同社の社長に就任しましたが、2平米のバラック建ての社屋からのスタートでした。
当時はまだ社会主義思想が強かったため営利目的の私営企業をおおっぴらに作ることはできず、社会主義的な「集団企業」という名目は立てましたが実質的には私営企業であり、王氏は地方公務員から民間企業の経営者へと立場を大きく変えることとなりました。会社設立からしばらくの間は公務員との掛け持ちでしたが、1985年に長寧区政府を退職し旅行会社の経営に専念することとし、1987年には上海春秋国際旅行社の会長に就任しました。
その頃の中国は農協の団体観光が賑やかだった頃の日本と同じで、団体旅行ばかりで個人旅行の概念はありませんでした。中国の旅行会社も団体旅行を主に扱っていました。会社設立から間もない頃、王氏は浙江大学の教員が海外の旅行業界の最先端事情について執筆した教材を読み、海外ではすでに個人旅行が主流になっていることを知ります。いずれ中国もそうなると読んだ王氏は個人旅行を重点に扱い中国の他の旅行会社と一線を画すことに成功しました。
1995年に上海春秋国際旅行社は旅行業者として中国最大手となり、2004年には初の民間航空会社である春秋航空を設立しました。バラック建ての公務員社長からスタートし、従業員4,000人、年間売上高60億元の巨大旅行会社を築き上げた王氏は中国でも指折りの稀代の経営者として広く知られています。